gleam with you

フィクションかもしれないし、ノンフィクションかもしれない

好きは免罪符にはならない

これはオタクの話。応援についての話になっています。

もちろん人一人の意見ですから、合わない人もいることは承知で書いていこうと思います。

 

あなたはどんな応援方法をしていますか。どんな推しかたをしていますか。

つい昨日の出来事ですが、私が推してるグループのメンバー(推しではありませんが、大好きなメンバーの一人です)が脱退しました。

私は彼の最後のライブを見に行くことができませんでした。きっと一生後悔するでしょう。

ライブ終了後、ライブに行っていた友達と電話しました。彼が発した言葉に涙が止まりませんでした。

 

オタクの在り方ってなんでしょう。推しや推しグループを応援すること。その応援って誰のためにやってることなのでしょうか。自分のため?自分の欲求を満たすため?

応援って、自分が大好きな人(推し、推しグループ)がその人たちの進みたい道を歩むのを支えてあげることではないでしょうか。夢を叶えることの背中を優しく押してあげることではないでしょうか。

好きって気持ちを理由にしたらなにをしてもいいのでしょうか。好きって気持ちを理由にして推しメンの心を傷つけてもいいのでしょうか。

 

自分勝手な応援になってないか、改めて考えた夜でした。涙は今でもとまりません。

推しメンじゃないにしても、そりゃ大好きなグループのメンバーなので、大好きなんです。

「一緒にこのグループ盛り上げていこうね」(改訳しております)って言ってくれたこと、布教のため友達を連れて行ったらちゃんと気づいてくれて「ありがとう」って言ってくれたこと、彼の歌声がすきだったこと、私がこのグループを知るきっかけを作ってくれたこと、全部全部たくさんたくさんありがとう。

彼のこの先の人生が幸せなものであるように祈ってます。

 

 

間違ってたのは世界ではなく僕の方だった

私の世界。私がみてる世界。私が好きなもの。私が嫌いなもの。それが世界だった。好きなものを受け入れて、嫌なものは目を背けて排除したかった。けれどそれは違っていたようで。嫌われてたのは私。排除されるべきは私の方だった。そう気づいてしまったらこの世界にいるのが息苦しい。私はいらないんだなぁ。あの日包丁を突き刺されかけた瞬間、病室のベッドの上で点滴を受けていた瞬間、いじめられてたあの瞬間。あれは警告だったんだ。私はこの世にいてはいけないよ、という。それなのにここまで生きてしまって恥である。好きなものを好きでいる世界でいたかった。ありがとうございました。

 

2019-03-28の日記

 

人と話すのが苦手

結論から言うと、私は「相手に私の話を話したところでなにも伝わらないし響かないしなんの得もない」と思っています。

だから会話もいつも聞き役。

別に私の話なんてどーでもいいし、どーでもいいし、どーでもいいから。伝えたいこともない。私が今日○○したとかどーでもいい、そう思ってます。

けれど世間的には、普通はそれがコミュニケーションであるそうです。いやすぎるな。

別に相手の話を聞くのはいいんです。まぁ、人の状況を考えずにぶっこむやつはどうかと思いますけど。

あーそんなことがあったんですね、はー、へー、はいはい。

っていうのが苦手。物事の全てがだからなに?って思ってしまう。

なにもかもにも、自分にも、興味がない。

働いていない

私は現在ニートです。

なにをしているかというと、昼過ぎに起き、母親が用意してくれた朝ごはんを食べ、部屋に戻りなにをしてるのか記憶にないことをして、時折天井を眺め泣きそうになり、夕飯の時間にもぞもぞと起き、母親の作ったごはんを食べ、元気があるときには風呂に入り(この時点で廃人極めてます)、安定剤を飲み込んで、嫌なことがあると眠剤を飲んで強制的に眠る、嫌なことがなくハイの時も眠剤を飲んでフワフワした状態を楽しみ、そうでないときはインターネットを徘徊して朝方に眠る。というなんとまぁクソみたいな生活を送ってるわけですが。

文字に起こしてみると、ほんとうにクズすぎて泣けてきました。死んでしまえ。仕事に負けて、社会から逃げて、逃げて、布団にくるまって、お前はなにをしているんだ。なにから逃げているんだ。さっさと死ね死ね死ね死ね。

深夜のインスタライブ、推しが「明日も仕事なのにみんな見てくれてありがとう」と言っていました。私は明日も明後日もその次の日も仕事がありません。労働をしていません。クズです。きっとじつは私はそのことが引っかかっているのでしょう。その言葉を聞いて、一気に虚無になりました。嗚呼、他のオタクが仕事をしてる間わたしはわたしはわたしは。生きててもいいのでしょうか?また私は仕事ができるのでしょうか。やるしかないのです、やるしかないのです。

仕事を辞めるという判断は間違ってなかったと後悔はしていません。あのままいけば私は自殺計画をなしにして、突発的な自殺(しかも絶対未遂に終わるクソみたいなもの)をしていたでしょう。

労働を行え、それが義務なのだ。そうでないなら、いますぐ

食べろという声に逆らえない

カショオの話。

スーパーやドラッグストアで並んでいる食べ物やお菓子を見るのが好きだ。なにを食べようかなとワクワクする。これとこれと、あれもいいな、それと、あポイント5倍なんだ。だったらあれも買って全部食べよう。

 

〈2017.9.23の日記〉

頑張れって言われてもこれ以上頑張れる身体じゃないし、生きてって言われてもこれ以上生きる元気もないです。いいよね、善人のふりして簡単に頑張れとか生きてとか言えるんだから、そのあとの責任もとれないくせに。あなたには頑張ってない風に見えるかもしれないけれど、私はこれでも毎日頑張ってます。薬なんか飲みたくないけど毎日ちゃんと飲んでるし、仕事も体力的にも精神的にもきついけど毎日出勤してるし。それが甘えだと言われて、生きたい人もいるのにって説教するなら、そんな私をどうにかしてください。

 

家に帰って、ガサゴソとレジ袋をあける。たくさん買ったなぁ。お昼ご飯をたべる。お腹はいっぱいだ。ほんとはもうなにも食べたくない。けれどそんな心の声を無視して、私の脳は命令してくる。食べろ、食べろ、食べろ、食べろ。

 

〈2017.9.13の日記〉

私は多くのものは持ちません。例えるなら、本当に大切なものは1つか2つしか手に持ちません。だからその他のものが他人によって壊されたりしても全然いいんです。某物語の主人公ではないけれど、どーでもよいものだけ貸すんです。だから帰ってこなくてもいいんです。

 

〈2017.9.3の日記〉

リビングで両親が揃って笑顔でドラマ見てる同じ階のトイレにて鍵かけて慣れた手つきで喉に指突っ込んでオエオエ行ってないさっき食べたもの便器にぶちまけるのめちゃくちゃ虚無すぎてめちゃくちゃおもしろい、レッドカーペットなら満点大笑いでしょ💯死にたいd(^_^o)助けてd(^_^o)?「無理で〜〜す」もうなんにも食べたくないよ〜〜…きもちわりーよ。なんで過食したんだよ。頭痛いし目も痛い。吐いたおかげで過食したけど痩せピッピ😍💯🙌☠️☠️☠️☠️☠️☠️☠️☠️☠️☠️☠️☠️☠️☠️☠️

 

食べる。自分の手がお菓子のパッケージを開ける。ぶっきらぼうにそれをつかんでは口に運ぶ作業。楽しくない。お腹だっていっぱいで苦しい。けれどやめさせてくれない、自分が。だって食べてないといろんなことを考えてしまう。食べている時だけは嫌なことを忘れられる。一時的でもいいんだ。脳が命令する。もっと、もっと、もっと、もっと。

 

〈2017.8.20の日記〉

過食なんか楽しくねーよ 食べるのセーブしなきゃってそんなこと私だってわかってんだよ けど食べなきゃダメじゃん?だって脳がそう命令してるんだもん どんだけ食べ物のにおいにウッときても気持ち悪くてもそれらを食べなきゃいけねーんだよ くそ。なんのために生きてるのかがまじでわからん どうせ数年後には死ぬって決めたんならこんな普通の人みたいな道に進まなければよかった 私みたいなダメ人間が普通の人みたいな人生模倣しなければよかった ほんとうに無理です。

過食するぽくにマッマが注意するけどぽくは理不尽にキレる 地獄

?「ねぇ、そんなに食べて大丈夫なの?」

?「こんなにアホみたいに食べて大丈夫なわけねぇだろ 大丈夫じゃねぇことくらい私が一番わかってるわ」

クソ?

よいこのみんな〜〜

過食は4376735353535353535353535害あって一利なしなのでやめようね!

かわいいという暴力で殴る蹴るなどをしたかった

かわいいは正義だ。

かわいいもの、それはキラキラしていて、甘い砂糖菓子のようで。かわいいというだけで、画像を保存する指先。それってすごいことじゃないですか?

だって醜いものは、目を背けたくなるでしょう。あなたのその指先は、あなたの持ってるスマホにその画像を保存したくないでしょう。

顔面にとってのかわいい、それはただのパーツ配列。けれどその配列が人生を決めてしまうのだ。私はブサイクなのですが、その遺伝子配列のATGCによってどれほど悩まされてきたでしょう。

なら整形すれば?それも一つの選択肢だと思います。悪いとも思ったことがありません。けれど私にとって違うのです。私は憎むべきこの醜い顔でまずかわいくなりたいのです。

私は物心ついたときからこう言われてきました。「脚が綺麗だね」と。は?こいつ急に自慢かよと言われるかもしれません。けれど違うのです。脚が綺麗だということは、その人が一番最初に見るべきであろう顔を無視しているのです。最初は私も喜んでましたが、スタイルを褒められるたびに沈む心がありました。だってスタイルのいいブスなんて、かわいい顔面には勝てないのです。かわいい顔面は痩せてても太っててもいいのです。そしてこうも言われました。「ブス」と。自分が思っているのと、他人から悪意のある真実の言葉を向けられるのとでは違うのです。はじめてブスだと言われた瞬間、私はショックでショックでたまりませんでした。その頃から私はブスという言葉に囚われています。私ってブスなんだ、そうなんだ、かわいくないんだ、愛されないんだ。かわいいになりたい。ブスだと言われたこの顔で、かわいいになりたい。

私はそこから化粧を勉強しました。スタイル維持のため、毎日欠かさずマッサージやストレッチを行なっています。それで私はブスから、ある程度見ることのできるブスになりました。ツンケンした態度から愛嬌のある態度に変えました。でも、だからなんだというのです。周りの態度は変わりました。褒められることも多くなりました。でも私はずっとずっと美醜に囚われているのです。誰になんと言われても、私はかわいいにはなれないのです。だって心が醜いから。ブスだと言われたあの日から、私の心は醜いのです。

ああ、かわいいに生まれたかった。元の顔がかわいいでありたかった。かわいいでたくさんのものを殴って蹴ってめちゃくちゃにしたかった。

私はいつまでもかわいいに囚われているのでしょう。悲劇のヒロインぶってもいいじゃないですか。だってこの醜い顔と心を愛せるのは自分しかいないから。いつだって私は自己嫌悪の自己愛者だから。

 

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