gleam with you

フィクションかもしれないし、ノンフィクションかもしれない

やはり彼は私の救世主ではなかった

最初からわかっていました。私が勝手に彼を、私を救ってくれる唯一の神、と崇めていただけなんです。けれどそれも嘘なんです。私は結局誰も愛することができません。愛することを私自身が許可してくれないのです。彼が関わる作品、他にも映画やアニメや本や音楽に触れても、なんにも感じません。虚無しか感じません。無を感じるという、なんと哲学的なお話でしょうか。以前先生に勧められた太宰治人間失格の葉蔵に自分を重ねて落ち着くと同時に苛立ちを覚えます。お前は顔がいいじゃねぇか。それだけでお前は、お前は。許せない。自分の愛する女と心中(未遂に終わったけどなクソワロ)できる幸せを受けながらなんなんだてめぇは。カルモチンと間違えてヘノモチンを渡される葉蔵。爆笑です、ざまあみろ。排泄物とともに、お前の今までの人生がトイレに流れてしまえ。そう私の中の躁ちゃんが暴れます。決して太宰治アンチではありません。人間失格、大好きです。葉蔵の考えには共感しかないからです。だからこそ、一緒に死んでくれる誰かがいる葉蔵が憎くて憎くてたまらないのです。人間は誰しも道化を演じています。人間は人間を前にするときに、「自分らしさ」を出すことはできますが、「ありのままの自分」でいることはできません。人間みんながありのままの自分でいたら、秩序は乱れ、社会がぐちゃぐちゃになってしまいますからね。まぁこれら全ては私ごときの考えであり、私は考察だのなんだのは見ておりませんし、自分の率直な感想を述べているだけなので悪しからず。私は人間失格のようなどうしようもないお話がだいすきです。「どうしようもない」というのは決してけなしているわけではありません。なんというか「どうにもならない」お話がだいすきなのです。人間失格のラストなんて、まさにどうにもならないでしょう。それは一見悲劇に見えるかもしれません。人間を演じていた男が絶望に堕ちる悲しいお話なのかもしれません。でも私には悲劇でもありますが、喜劇にも見えました。ギャグとホラーは紙一重と言いますが、まさにそんな感じです。人生は悲劇であり喜劇だ、そしてグランギニョルだ。そうは分かっているのですが、私は私の人生において悲劇の主人公を演じております。なんて馬鹿げているのか。先生に薬の増量をはじめとする乞食をしたら怒られますし、私の頭の中をかき混ぜたいと言われましたし、そんなことを言われたら私の頭はミキサーにかけられたように脳みそがぐちゃぐちゃになってしまいます(セルフサービス)私は私が許せません、息をしているのも許せません。だったらさっさと死ねと世間は言うでしょう。世間ってお前だよ。許してください、許してください。私が私を許せないのと同時に、他人から何をされても許せる、それは仕方のないことですから。と言うと、先生は自分勝手ですね、と説教されますし。ごめんなさい。なんだか気分を落ち着かせるためにこの文章を書きなぐっているのですが、ますます混乱してきたので終わりにします。理不尽な死が私を救ってくれますように。私の神様は彼から理不尽な死に変わってしまったようです。